五月女 哲平:福尾匠=著『眼がスクリーンになるとき』アートワーク

   
 
 
五月女 哲平:
福尾匠=著
「眼がスクリーンになるとき
ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』」
アートワーク
 
 

福尾匠さんの単著「眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』」のアートワークに、五月女哲平の作品が採用されました。

More info:
http://filmart.co.jp/books/jinbun/cinema/
 

 

眼がスクリーンになるとき
ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』

福尾匠=著

出版社: フィルムアート社
発売日:2018年07月26日

四六版・並製|304ページ|ISBN 978-4-8459-1704-4
価格:2,200+税

ブックデザイン:熊谷篤史
カバー挿画:五月女哲平
帯文:千葉雅也



こちらからご購入いただけます。
https://www.amazon.co.jp/dp/4845917041/

 

 

ついに、『シネマ』がわかる!
思想界に颯爽と現れた26歳の新鋭、衝撃のデビュー作!
「たんに見る」ことの難しさと創造性をめぐって書かれた画期的なドゥルーズ『シネマ』入門。
本書は、「見る」ことと「読む」ことの復権を同時に実現する。

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千葉雅也さん推薦!!
「映画とは何かを考え抜いたジル・ドゥルーズの伝説的著作『シネマ』が、本書によって、ついにわかる。『シネマ』のロジックを一步一步解きほぐす、目からウロコの超解読。そして、これは映画だけの話ではない。あらゆる芸術・文化を考えるのに役立つツールがここにある。」

 

【イベント情報】
■9月20日(木)
『眼がスクリーンになるとき -ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』-』『思弁的実在論と現代について: 千葉雅也対談集』刊行記念福尾匠さん×千葉雅也さん トーク&サイン会開催のお知らせ
詳細はこちら

■9月10日(月)
『眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』+『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』(フィルムアート社)刊行記念イベントのお知らせ
福尾匠×石岡良治×三浦哲哉×平倉圭
詳細はこちら
※本イベントのご予約は既に定員に達し締め切りとさせていただきました。

 

 

20世紀最大の哲学者、ジル・ドゥルーズが著した芸術と哲学をめぐる二巻本『シネマ』。

本書は、『シネマ』にとって、映画は哲学の「フッテージ(footage)」、つまり「思考の素材=足場」であると捉えなおすことから議論を開始する。
その映画というフッテージに、もうひとりの重要な哲学者となるアンリ・ベルクソンの哲学が流しこまれる。そのとき映画はイメージ=映像による〈思考〉の実践として立ち現れてくるのだ。

『シネマ』と映画の関係、ドゥルーズとベルクソンの関係というふたつの問いは、哲学にとって「見る」ことと「読む」ことがいかにして概念の創造へと導かれるかということを指し示している。

映画という特殊な経験のシステムから立ちあがる、イメージがそれ以上でもそれ以下でもなく見たままで現れる地平、「眼がスクリーンになるとき」とはどのようなことか。
そのとき観客である私たちはどんな存在へと生成するのか。

また、「私は素朴な観客です」というドゥルーズの言葉どおり、「見たまま」を肯定する態度は、ドゥルーズの哲学の創造性とどのようなつながりがあるのだろうか。

映画から哲学へ、哲学から映画へ、まっすぐに『シネマ』の核心へとスリリングに論じぬく、新鋭のデビュー作 !

 

「ゼロから読む」という名前のとおり、この本はジル・ドゥルーズの『シネマ』という書物の入門的な解説書だ。したがって本書を読むにあたって、ドゥルーズについても、哲学についても、映画理論についても知っている必要はない。映画をどれだけ見たことがあるかということもまったく問題にならない。いずれにせよ本を読みながら映画を見ることはできないのだから。
本書「はじめに」より抜粋

 

目次
はじめに

第一章 映画と哲学、ベルクソンとドゥルーズ
 1-1 『シネマ』と映画
 1-2 ベルクソンにおけるイメージと運動
 1-3 ベルクソンの「映画的錯覚」批判とベルクソニズムによるその解決

第二章 運動イメージ――感覚-運動的に思考する映画
 2-1 運動イメージの分化――宇宙の構築
 2-2 運動イメージの種別化――主観性の物質的アスペクト
 2-3 映画的思考1――全体とフィギュールの思考、画面外と音声

第三章 運動と時間
 3-1 運動から時間へ?――ランシエールの『シネマ』批判をめぐって
 3-2 零次性としての知覚イメージ――物の知覚
 3-3 眼がスクリーンになるとき――運動と時間

第四章 第一、第二の時間イメージ――視-聴覚的に思考する映画
 4-1 結晶イメージの境位――知覚と記憶の同時性
 4-2 過去の共存と現在の同時性――「脳」と「宇宙」の新しい意味
 4-3 映画的思考2――〈外〉と定理の思考、視-聴覚的映画
 補遺 ドゥルーズの「減算と縮約」

第五章 第三の時間イメージ――ひとつのおなじ結論の三つの異なるバージョン
 5-1 私に身体を与えてください――瞬間に持続を導入する
 5-2 偽なるものが力能になるとき――『シネマ』の物語論
 5-3 ふたたび『シネマ』と映画、ベルクソンとドゥルーズ

文献一覧
あとがき

PROFILE
【著者プロフィール】
福尾匠(ふくおたくみ)
1992年生まれ。横浜国立大学博士後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC1)。現代フランス哲学、芸術学、映像論。論文に「映像を歩かせる——佐々木友輔『土瀝青 asphalt』および「揺動メディア論」論」(『アーギュメンツ#2』、2017年)など。翻訳にアンヌ・ソヴァニャルグ「リゾームと線」(小倉拓也との共訳、『ドゥルーズ——没後20年新たなる転回』河出書房新社、2015年)。