橋本 聡:世界三大丸いもの:太陽、月、目

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自身に塗れ(黒)2016(2011)、自身の身体を塗装することができる。カラースプレー缶、指示書、来場者


橋本
聡:世界三大丸いもの:太陽、月、目

 

1.20 – 2.19. 2017

 

2017年1月20日[金] – 2月19日[日]
パフォーマンス:1月21日[土] 18:00-
レセプション:1月21日[土] 19:00-21:00

Open:
水 – 土:12:00-19:00
日:12:00-18:00
(定休日:月曜・火曜・祝日)

 

Installation view, Satoshi HASHIMOTO : The World’s Three Major Round Things: the Sun, the Moon, the Eye

 

【イベント情報】※随時更新

1月21日 (土)
《An Apple (Tell, Newton, Cinderella) 》18:00-|藤川琢史、橋本聡 ※終了しました

1月22日 (日)
《水を撒く》14:00-17:00|青山秀樹、橋本聡
《隠す/探す(屋内)》17:00- ※終了しました

1月29 (日)
《隠す/探す(屋外)》15:00-|橋本創、橋本聡
《マスクをつくるワークショップ #2》16:00- ※終了しました

2月5日(日)
《電車での移動》18:00-
18時以降に合流する場合は080-6608-0571にお電話ください ※終了しました

2月12日(日)
《Fw: 1日》 ※終了しました

それぞれ途中から合流する場合は080-6608-0571にお電話ください
《Fw: 映画館》9:30-12:30|TOHOシネマズ新宿
集った人で映画を選び、映画館に入場します。
《Fw: マクドナルド》12:30-13:30|マクドナルド西武新宿駅前店
《Fw: ウィンドウショッピング》14:00-16:00|新宿駅周辺
《Fw: スターバックス》16:00-17:00|スターバックス新宿3丁目店
《ギャラリートーク:松井勝正 x 橋本聡》18:00-|青山目黒
先着受付(事前申込 → info@aoyamameguro.com
《Fw: 外食》21:30-|中目黒駅周辺
《Fw: 映画》24:00-|TSUTAYA中目黒店
集った人でDVDを選び、青山目黒に移動し上映します。
《Fw: アルコール》25:00-|青山目黒

2月17日(金)
《Fw: 闇》20:00-|JR八王子駅改札集合 ※終了しました
屋外において「太陽」、「月」の姿も光も至らず、「目」もきかない「闇」を車で移動しながら探します。解散はひとまず参加者の終電に間に合う時間に近郊の駅にて。参加人数に限りがありますので事前にお申込みください。hashimoshi@gmail.com 

2月18日(土)
《音:不確定性骰子(回る四角)》13:00 – 19:00 ※終了しました

2月19日(日)
《音:蚊(回る丸: 急速眼球運動)》13:00 – 19:00 ※終了しました
《ギャラリートーク》18:00- ※終了しました

 

展示協力:Daisuke Motogi Architecture

 

 

本年もよろしくお願い申し上げます。

新年の最初の企画として、橋本聡をご紹介致します。『私はレオナルド・ダ・ヴィンチでした。魂を売ります。天国を売ります。』(2013)以来、4年ぶりの弊ギャラリーでの個展になります。

橋本はパフォーマンスや行為、あるいは指示書を設置し行動を促すアプローチを通して、観客を引き込み、私達の在り方を問い質す作品を数多く制作してきました。ときに無理難題を含む指示や既存のボーダーを越境する行為は私達の存在の根底に問いかけます。私達は誰かや何かに根底的な影響を受けつつも、自分で考えているかの様に思考し話し行動します。橋本はその影を見つけると誘拐し、何かの受け売りであるあなたに寄り添い、問いかけるのです。私はあなたを人質に取った、保護者は元のあなた自身なのです、と。

「ギャラリーに置かれた体重計はあなたの視覚の対象ではない。逆に、それはあなたの質量を対象化する。地球は5.972 ×10の24乗 kgの質量を持っている。その数値にはあなたの体重も含まれている。しかし、その割合はとても少ない。この世界は、ほぼ100%あなた以外のものからなる。しかし、私達が世界を捉える方法はもっと複雑だ。」(『橋本聡:全てと他』松井勝正)

本展では、昨年6月に現地で大きな反響を得たLISTE 21(バーゼル)での個展形式での展示『全てと他』と同10月の『転がる石、オリンピック、太陽、月、冷たい水』(TERATOTERA-Involve, 東京)にて発表した作品を軸に立体やテキスト、パフォーマンスなど数十点に及ぶ作品で構成する『世界三大丸いもの:太陽、月、目』を開催いたします。

《円グラフ:全てと他》は円グラフの形式を用いて世界の区分の有り様を超越的に現した作品です。「世界の人口1%の総資産」とその残りの「世界の人口99%の総資産」はほぼ同じ額になるという経済格差を示す統計データがあります。その円グラフの隣に「地球から見た月の大きさ」と「地球から見た太陽の大きさ」がほぼ同じ大きさに見えることを示す円グラフが並びます。しかしながら実際は太陽は月の400倍程の大きさ(質量は2700万倍程)があります。経済のデータと天文学のデータと言ったように、ここでは通常は連関されない内容が対比させられます。さらに隣の組では円グラフでは扱われないような概念的内容が図式化され、対比の連鎖が個々の区分にひび割れをおこします。
本展では2013年の国東半島及び三浦梅園のリサーチを経てインターネット上の展覧会『国東現像』(ディレクション:遠藤水城)にて発表された《円グラフ:全てと他》をアルミ製でプレート化したものを展示いたします。

会期中は「MOTアニュアル2016:キセイノセイキ」(東京都現代美術館)などにおいて展開された橋本の『抽象直接行動』の枠組みにも重なり、また他のテーマに跨がる形で複数のアクションやイベントが毎週開催の予定です。詳細はギャラリーホームページやSNSにて随時情報を発信していく予定です。
ぜひこの機会に本展にお出掛け下さい。

 

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橋本聡 Satoshi Hashimoto

1977年生まれ。主な発表に「行けない、来てください」(ARCUS, 茨城, 2010)、グループ展「Omnilogue: JOURNEY TO THE WEST」(Lalit Kara Academy, ニューデリー, 2012)、「独断と偏見:観客を分けます」(国立新美術館, 東京 2012)、「偽名」(「14の夕べ」東京国立近代美術館, 東京, 2012)、「私はレオナルド・ダ・ヴィンチでした。魂を売ります。天国を売ります。」(青山|目黒, 東京, 2013)、「国家、骰子、指示、」(Daiwa Foundation, ロンドン,2014)、「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」(東京都現代美術館, 2016)、「全てと他」(LISTE, バーゼル, 2016)、「Fw: 国外(日本 – マレーシア)」(国際空港, 飛行機, マレーシアなど, 2016)など。個人での活動のほか、An Art User Conference、基礎芸術|Contemporary Art Think-tank、ARTISTS’ GUILDなど、アーティストや批評家たちと恊働したグループ活動を積極的に行っている。

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世界三大丸いもの:太陽、月、目

世界三大丸いもの(日、月、目)、世界三大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教)、イスタンブール五輪2020、東京五輪1964、ゲバルト棒、歴代アメリカ大統領、クリントン、トランプ、削られたドル(ワシントン)とスイスフラン(ジャコメッティ)、An Egg、An Apple(Tell, Newton, Cinderella)、信号、赤、蛾、黒、マレーヴィチ「黒い正方形」、モリス「Untitled (Box for Standing) 」、Telephone Box、並ぶ2つの時計、円グラフ:全てと他、皆既日食、眼球とブラックホールのサイズ、他。会場では冷たい水やブラックコーヒーを飲め、眠ることもできます。

 

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崩壊してゆく作者/作品/観客

松井勝正
 
降水確率100%の天気予報が外れる可能性は何%だろうか。未来が予測可能であることは我々の文化の起源と密接に繋がっている。ジェーン・ハリソンは表象や観念の起源に周期的な時間の認識があることを指摘している。過去に起こった出来事が一度限りの過ぎ去ったものではなく、未来にも再び起こるだろうと予測される時、我々の行為は未来と過去の対象へ向けて引き伸ばされ、抽象化された表象の世界が形成されていく。つまり我々の表象文化は過去が未来に回帰する時間を前提としているのだ。だから我々の論理学にほとんど時間の概念がないという事実は、論理の不完全性を意味しているというよりも、おそらくその根源的な動機を示している。我々の文化は永遠不変の世界への欲望に貫かれているのだ。しかしそのアザー・サイドでは不可逆的な時間が進行し、予測していなかった未来が必ず訪れる。確率や統計の空間はまず想定されうる全事象を全体=Ωとして設定し、それを分割することで成り立っている。しかしその想定された全体を逃れる「他」は必ず存在する。時間は常に情報エントロピーを増大させていくのだ。

橋本聡はこの文化的世界の構造のひび割れから「他」の領域を志向する。彼の二つ組の円グラフは二つにひび割れた全体性を持ち、その裂け目から「全て」の「他」を指し示す。彼はサイコロのモチーフを好んで用いるがそれは1から6まで均等に割り振られた確率空間を表現しているわけではない。例えば《想像(イカサマ)骰子》では、落下し続ける「不確定骰子」や出目が暗くて見えない「(暗くて)不確定骰子」など12個の可能性が示されている。閉じた確率空間の背後に、イカサマや不慮の出来事を含めた他の可能世界が思考されているのだ。

構造化された世界は示差性や関係性を媒体とすることで物質性を隠蔽するが、その観念的な魂の世界に厄介ものとして現れるのは、他ならぬ我々の身体である。魂の支持体であり、不可逆的な時間にさらされている身体は、しばしば魂の無時間の世界に破壊的な混乱をもたらす。だからこそ我々の文化は、身体の周りにタブーを張り巡らせ、それを服飾で覆い隠すように求める。服を着ることで我々は社会的に配役された人物像に自身を適合させ、身体を隠蔽するのだ。駅前で半分ズボンを下ろした姿でズボンの交換を求める橋本の行為《ズボンを交換してください》は、服装の交換可能性と交換不可能性な身体が入り混じったわれわれのアイデンティティを露呈させる。

芸術の経験においても我々はいつの間にか作者/作品/観客という構造的に割り振られた観客の役を演じる習慣を身につけている。芸術鑑賞に個人的な気分や境遇は持ち込んではならない。客観的で正しい解釈を心がけなくてならないからだ。そうして我々は、顔も身体も持たない抽象的な観客へとすり替えられてしまう。芸術の経験は可逆的で抽象的なものになってしまうのだ。橋本はこの芸術鑑賞の作者/作品/観客という構造を崩壊させる。「あなた自身を叩くことができます」「あなた自身を塗装できます」といったインストラクションと共にギャラリーに置かれたハンマーやペイント・スプレーは、観客の視覚対象ではなく、逆に観客を対象化する。観客は作者やパフォーマーに代わって叩く、塗るといった行為の主体となり、同時にその対象となるのだ。《独断と偏見:観客を分けます》では、観客は作者の前に並ばされ、その外見を評価される。服装や化粧で制作された観客という役が評価されるのだ。そこで、作者、作品、観客の役は反転し置き換えられ混乱をきたすことになる。彼の作品を見に来た観客はしばしば縛られ、閉じ込められ、追いかけられる。そうした身体に加えられる負荷は抽象化された観客を自身の身体へと引き戻し、観客を「観客の役」から解放するのだ。

作品の客観性と同一性への信仰は芸術経験を安定化させる上で中心的な役割を果たしている。不安定な物々交換を安定させる貨幣のように、作品は不安定な作者と観客の関係を安定させる媒介となる。我々はまるで作品自体に意味と価値を内在しているかのようなフェティシズムの幻想に陥っていくのだ。しかし《FLOWER》で目にする対象はそうしたフェティシズムにひび割れを生じさせている。ギャラリーの入り口で観客は天井から伸びたセクシャルなフェティッシュを象徴するかのようなハイヒールを履いた女性の足を見ることになる。そしてギャラリーに入り後ろから飛んでくる紙くずに気づき後ろを振り返ると、入り口の上に画集から切り離された頁をクシャクシャに丸めて紙くずを生産している髭面の男を目撃する。そして、ギャラリーの外から見ていた女性の足が、実は彼の足だったことに気づくのだ。

このギャラリーの内と外の境界で行われた奇妙な展示は、アートの経験に不可逆的な時間をもたらしている。ひとつは書物が断片化され丸められ拡散していくプロセスによって、そして足を見る経験の不連続性によって時間がもたらされるのだ。言うまでもなく、ギャラリーの外から見た足と中から見た足は同じ対象である。だが観客は外から女性の足を見て、内から男性の足を見た。その相容れない二つの体験を我々は統合するというよりも隠蔽して解決する。最初から女性の足など見ていなかったとして過去を塗り替えるのだ。確かに脳に刻まれた体験自体がなくなるわけではない。それは存在しない対象の記憶として身体に残り続ける。だが再びギャラリーの入り口へ戻ったとしても2度とあの女性の足に出会うことはない。こうした経験によって実は我々は取り返しの付かない変化を被っている。そしてそれは作品の同一性と客観性に決定的な亀裂をもたらすのだ。
《FULCRUM》では、ギャラリーの入口に敷かれた板を踏み越えてきた観客は、その不安定な感触に振り返り、仰向けの体制で板を支えている作者の姿を見ることになる。観客は人を踏んだという自分の過去を事後的に発見し後悔することになる。時間の不可逆性が罪の意識として観客に刻印されるのだ。それはアートを支える永遠性への欲望を破壊し、予測できない未来と取り返しのつかない過去からなる時間へと観客を導くのだ。

《私はレオナルド・ダ・ヴィンチでした。魂を売ります。天国を売ります。》で彼は、生活するお金に困った末にとうとうずっと隠してきた秘密を打ち明けた。実は彼はレオナルド・ダ・ヴィンチ本人であったという。そして彼はレオナルドの絵に描かれている(と彼が主張する)天国の土地をコレクターに売りつけた。その驚くべき計略によって彼は、芸術、言語、貨幣、宗教といった我々の文化の根源にある不安点さをその詐欺行為の中に圧縮して示してみせる。壁のしみから絵画を妄想するレオナルド本人の行為、そして、その絵の具のしみに妄想のハゲワシ(レオナルドの無意識)を読み取るフロイトの行為を反復するかのように、彼は作者という概念を妄想の中に解消してしまう。作品が見る者の幻影の中に崩壊するとき、見る者こそがその作者として現れてくるからだ。作者/作品/観客は嘘と妄想が渦巻く崩壊の時間に飲み込まれていく。橋本聡が準備する経験は、我々の生きている世界がいかに不安なものだったかを思い出させてくれるのだ。

 

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助成:公益財団法人テルモ生命科学芸術財団、平成26年度優れた現代美術の海外発信促進事業