時間の形式、その制作と方法──田中功起作品とテキストから考える

 

時間の形式、その制作と方法
──田中功起作品とテキストから考える

 

9.3 – 30, 2017

 

2017年9月3日(日)-9月30日(土)
水-土: 12:00-19:00
日: 12:00-18:00
会期中定休日: 月・火・祝日
 
 
企画: 上妻世海
デザイン: 石塚俊 
 
 
 
○本展について
 
田中功起は2013年に第55回ヴェネツィア・ビエンナーレで特別表彰を受賞し、2015年にドイツ銀行が選定するアーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、日本だけでなく海外からも最も注目されるアーティストの一人であり、『関係性の美学』以降における現代美術の代表的人物とみなされている。そして、重要なアーティストには当然のことであるが、彼の作品群には既に多くの批評が寄せられており、その中で多くの場合、「現象から行為へ、そして共同性へ」といった整理がなされている。よって、多くの人々には僕のような権威もなにもない若手キュレーターが評価が定まりつつある作家の展覧会を企画することの意味が理解できないかもしれない。

しかし僕にとって、田中功起は、作品を制作するだけでなく、数多くの興味深いテキストを残しており、しかも批評的にも重要な論点を展開している作家であった。そして、そのテキストの熱心な読者であった僕は、彼の内在的な視点から彼の作品群を解釈していて、当時、曖昧ながら、「現象から行為へ、そして共同性へ」といった解釈ではなく、別の仕方で解釈しうるのではないかと考えていた。言い換えれば、田中は彼自身の目的とは違った仕方で解釈されており、田中自身の問題意識とその解決方法を整理することで、本来的な、しかし新しい論点が描き出せるのではないかと考えていたのである。

上記の関心から、僕はこの展覧会を企画する上で、まず彼の最初期の作品群と膨大なテキストを読解することにした。そして、その読解を媒介に彼の根底に流れる思想と態度を明示的に記述することにした。それは彼の制作と思考の痕跡を辿る旅であり、その記述によって示された場所から再度彼の作品群を現在まで振り返ることで、彼が志向していた作品の可能性を最大限拡張することを可能にした。

そして、幸運なことに、この作業は彼の制作と方法について記述するだけでなく、同時に、僕自身の制作と方法についても思考を促した。何故なら、彼が真摯に向き合ってきた「制作者」と「鑑賞者」と「作品」の視点の差異、そして「作ること」と「作品」と「見ること」の関係の在り方は、「時間の概念」をある条件のもとで限定し、別の条件のもとで拡張するのであるが、それはこれまで僕が思考してきたことの近傍に位置しており、それらは響きあい、僕自身にも大きな変容をもたらしたからである。

田中は2000年に野比千々美という別名義で「世界‐速度の変容–コンセプチュアル・アートの<遅さ>をめぐって」というテキストを発表し、第3回[武蔵野美術]評論賞を受賞している。彼は、その中で、現代社会について分析し、「断絶」と「脅迫」という二つの問題点を浮かび上がらせ、それに対する一種の抵抗装置としての「作品」を考えていた。その問題点は、2017年現在、当時よりも重大な問題へと膨れ上がり、彼の作品と方法から学ぶべきことは増しているように思える。しかし、彼の「作品」は彼の意図すらも越えて多様な見方を許容するだろうし、テキスト内で示すように、複数の時間軸の中で各々異なる解釈を生み出していくだろう。もちろん、僕の解釈も、作品の持つ時間軸に対してみれば、部分的な小さい(そして大きい)ものにすぎない。しかし、僕の試みによって、固着してしまうかもしれない一つの視点と関係のあり方が解放され、その場に無数の時間の形式が見いだされ、様々な視点から彼の作品が別の関係のあり方へと生成していくのであれば、それ以上に嬉しいことはない。


上妻世海