佐藤 純也:1つ覚えて、8つ忘れる

Gray Scale  2018, oil on canvas, 27.3×22cm / 22.7×15.8cm

 

佐藤 純也:1つ覚えて、8つ忘れる

 

28 July – 25 August 2018

 

会期:2018年7月28日(土) – 8月25日(土)
会期中:木 –  12:00 – 19:00   12:00 – 18:00
会期中定休日:月、火水、祝日

オープニング・パーティー:7月28日(土) 19:00 – 21:00

 

 

これはSNSに人々が夢中になってた良い時代の話だ。アーカイブを覗くとそれまでの全ての資料を合わせた数よりも、圧倒的に膨大な数の画像がこの頃に刻一刻と大量に貯蔵され始めたようだ。

そこでは人々の誇らしげで高揚した表情の記念の写真が沢山確認できる。自撮り?という、棒の先に携帯電話を付けて自分や友人やあまり知らない誰かと自分を一緒に記録するのもこの頃の盛んなデータ写真の特徴だ。何か歴史的な特別な、国際的な瞬間を捉えているのかと思えば、それはほとんどが市井の人々の特になんでも無い画像だという。

もちろん今でも人々は写真をよく撮る。それらを公開もしている……それにしても、こんなものをネットに投稿して、人に見せて、こんなにも莫大に貯蔵して、どうするつもりだったのだろうか。 中には旅行中に目に入るものや自分たちの写真を四六時中撮り過ぎて、後で画像を見返しても見覚えの無い光景ばかりだったり、信じられないことに、当時はそれらをネット上に投稿した際に賛同 (like?) が付かないと、ひどく落ち込んだり、実際に人間関係が悪くなったりしたことも多々あったと記録されている。

どうしてそんなことに、こんなにまでして人は夢中になれたのだろうか。

佐藤純也 (1977– / 神奈川で活動) はその頃を20-30代で過ごした時期の絵描きで、これらの膨大に保管され、増え続ける画像から、日々の通勤や勤務中、あるいは休暇日の散歩や移動の途中で目にする様な目立たない事象や経験にも通じる、どちらかと言うと些細な図像を取り出し、これらのイメージを基に、特徴のないキャンバスや板、あるいはパフの様な極小の素材、廃棄されそうな素材に作者が分からないほどの擬態振りで無味乾燥に留めている。それは当時流行していた現代アートにしては、過剰なスケールや強度の強調、スペクタクル振りと随分様相が異なり、様子がおかしい。さらに言えば、ほんの数時間で何十枚、ほんの数日で何百枚も描いたシリーズもあれば、1枚の完成に10年もかけた絵もあり、その違いや手間が側で見ても分からず、余計に様子がおかしい。

それによって返って目立とうとしているのか。こんなにもイメージが刻々と投稿され氾濫していたら、刺激の強い画像でもそうでもないものでも、すぐに飽き、ひと通り承認の欲望を謳歌して、誰もいちいち覚えてなんかいない、という単なる事実を引き受けていたのか。

これらの一見頼りなく、取るに足りない絵の集まりは、今日では思いついた画像を検索しようとしてみてもその途方も無い果てにあり、また誰もが誰かの印象に残りたい、記憶に留められたいという欲求や希望から開放された後の、もはや意識しても実現できない経験や光景、儚さに溢れていて豊かである。